【ネタバレ有】AKB49最終回の浦川実と吉永寛子の関係から考える恋愛教訓

週刊少年マガジンで連載していた『AKB49~恋愛禁止条例~』がついに最終回を迎えました。
人気アイドルAKB48とのコラボ漫画だと思わせておいて、”実はとても熱いスポ根漫画だ”と、多くの読者の期待を良い意味で裏切り続けてきたAKB49。
その魅力にどっぷりとハマってしまった読者も実に多く、AK49の最終回を寂しく思う声もたくさんありました。
AKB49の最終回で気になるのは、「主人公・浦川実とヒロイン・吉永寛子の関係はどうなったか」ですよね。
果たして二人は結ばれたのでしょうか?
今回は、AK49最終回の浦川実と吉永寛子の関係から恋愛教訓を考えていきたいと思います。
目次
AKB49最終回の要約(ネタバレ有)
芸能界を去り、ファンに戻った浦川実
前回と前々回で、公演に来ていたファンに「実は男だった」ということを告白した”浦川みのり”。
浦川実という人物であることを告げ、公演に来ていたファンによる暴動が起きかけるも、一人のファン(奥平先生)の一声で”浦川みのり”は伝説として名を残すこととなりました。
そして最終回。
主人公の浦川実は、コンビニのアルバイトとして働きます。
時折やってくるアリスと仲睦まじく話をするくらいで、平凡な日々を過ごしているようす。
そんな中、秋元氏が浦川実の前に登場。
「マネージャーとしてどうだ」とう話を持ちかけられるも、浦川実は「ただの吉永寛子のファンに戻る」と、芸能界からの決別を宣言します。
といっても特別目指しているものがあるわけでもなく、「アイドルほど夢中になれるものは見つかっていないけど、しばらくはこれでいいと思う」と、ひとまず現在の穏やかな日々をあるがまま受け入れようといった感じですね。
センターに立つ吉永寛子
一方の吉永寛子は、ついにAKBのセンターとして大抜擢。
今はいない、浦川実(浦川みのり)のカツラをかぶって舞台に出演します。
「時々でいいからこうしていたい」とも言っており、浦川みのりの存在をいつまでも忘れたくないという気持ちが読み取れます。
ちなみにお父さんとは和解したようです。
吉永寛子の母が、お父さんが公演に来ている様子を話していました。
そして—
浦川実のコンビニで、チャラめの男が立ち読みしています。
AKBの写真を見ながら「ブスばっかじゃん」と一言。
この言葉にピンと来たら、あなたも立派なAKB49通です。
何を隠そうこの「ブスばっかじゃん」というセリフ、浦川実がAKB49の第一話で発したセリフなんですね。
あの頃の浦川実は、アイドルの良さがこれっぽっちも分かっていませんでした。
ですが今では、誰よりもアイドルのことを分かっています。
「彼女たちも 頑張ってるんすよ」
と、チャラめの男に微笑みかけて完結。
浦川実と吉永寛子の関係は?
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AKB49は最終回を迎えましたが、浦川実と吉永寛子の二人は結ばれませんでしたね。
「吉永寛子も脱退して、恋愛禁止条例はもうないから、そのタイミングで告白する」というネット予想もありましたが、吉永寛子はAKBのセンターとしてこれからも活躍していきます。
浦川実にとっても、吉永寛子に(恋愛感情としての)未練はなさそうです。
ですが二人の間には、確実に何かしらの想いが芽生えているようですが、その想いは一体何物なのでしょうか。
一人のファンとしての浦川実
浦川実は最終回で、「ただの吉永寛子のファンに戻る」と宣言しています。
吉永寛子が活躍している様を、一人のファンとして見届けていきたいのでしょう。
「吉永寛子に抱いていた好意が消えたのか」と言われれば、そういうわけでもなさそうです。
むしろ吉永寛子に対する愛情は、より深まったのではないでしょうか。
浦川実(みのり)は、誰よりも近くで吉永寛子の活躍・努力・苦悩を見て、共に奮闘してきました。
そこにはただの”好意”とは言えない、より大きな想いが存在していると思います。
どちらかといえば、”親”としての愛情のようなものですね。
親子関係の愛情に、「付き合う」とか「彼氏彼女」とかいう概念はありません。
“見守ること”こそが最大の愛情表現であり、「ただ元気に笑って過ごしてくれるだけでいい」と、心から思える関係性です。
ある意味、”恋人以上の立場”で吉永寛子と支えあってきましたから、一種の悟りのようなものを開いたのかもしれませんね。
ちなみに最終回の様子を見ていると、浦川実はアリスと結ばれそうな予感もします。
アリスとの現在の関係はただの”好意”に収まってはいます。
ですが、異性間の好意としては十分過ぎるものなのでしょう。
吉永寛子の感情は?
逆に吉永寛子は浦川実のことをどう思っているのでしょう。
これも作品中では詳しく言及されていません。
キーとなるポイントは、
- 浦川みのりのカツラをかぶって舞台に出演したこと
- それに対して「時々でいいからこうしていたい」と言っていること
の2点ですね。
最近の「浦川みのりが実は男だった騒動」では、吉永寛子が浦川実に必死になって「みんな浦川みのりを待っている」と訴えかけていました。
男だということが発覚しても、吉永寛子にとって浦川みのりという存在は偉大なものだったのです。
上述した2点に関しては、浦川みのりに対する尊敬や憧れ以上の感情がある気がします。
つまり、「吉永寛子自身が浦川みのりになりたい」という想いですね。
皮肉なことに、吉永寛子の好意の対象は”浦川みのり”であって”浦川実”ではありません。
そして浦川みのりが脱退=事実上消滅した現在、吉永寛子が本物の浦川みのりと出会うことは二度とありません。
そのため吉永寛子が浦川みのりになりきることで、「確かに浦川みのりは存在していたんだ」ということを証明しようとしている気もします。
これも浦川実と同じく、ただの”好意”と言えたものではありませんね。
AKB49の最終回から考える教訓
というわけで、AKB49最終回の教訓を考えてみます。
二人の関係性は、ただの恋人関係を遥かに超えたものだというのは、誰の目から見ても明らかです。
どちらにとっても、ただの”好意”では片付けられない話になりました。
物語的には非常に清々しい最終回を迎えましたし、多くの人が”ハッピーエンド”だと捉えることでしょう。
ところが”恋愛”としては、ややバッドエンドではありますよね。
何といっても、浦川実と吉永寛子は結ばれていません。
二人が結ばれなかった理由はどこにあるのでしょうか。
やはり、「浦川みのりという別人格を間に入れていたから」だと思います。
浦川みのりと吉永寛子との関係には、浦川実という人物は介入していませんでした。
浦川実自身は吉永寛子に好意を寄せていましたが、浦川みのりとして接していくうちに、別の感情へと移り変わっていきました。
吉永寛子はもっとシンプルです。
今まで吉永寛子が接してきたのは、浦川みのりであって、浦川実ではありません。
吉永寛子が好意を抱いていたのは、浦川みのりなんです。
浦川実が早い段階で、「実は男なんです」と打ち明けることができていたら、結末はもっと違っていたかもしれませんね。
偽の自分を演じて、誰かから好意を持たれたとしても、そこで好かれているのは”偽の自分”なんです。
本当の自分ではありません。
というわけで教訓です。
好きな人と結ばれたければ、
ありのままの自分をさらけ出しましょう
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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